涙をすくう

ジャバウォックが宇宙空間へと消え去り、NYは深く澄んだ青空を取り戻した。
その青に映える白い羽根が、悠然と大空を羽ばたく。
ゆっくりと旋回し、シロンが下降した先は崩れたDWC本社の跡地だった。
そして、その傍に呆然と立ち竦むのはハルカの父親、ユル・ヘップバーンの姿。
「パパ!」
ハルカが思わず父に呼びかけると、彼はハッとこちらを振り仰いだ。
「ハルカ!ラドー!!」
ハルカと母の姿を認めた父は、涙を流しながら名を叫び、瓦礫に足を取られながら駆け寄ってくる。
自分を乗せたドラゴンが地に舞い降りるや否や、ハルカはその腕から飛び降りて、転がるように父へと駆け寄っていた。
視界の端では、大きな手が母親をそっと地に降ろしてくれている。
「パパ…!!」
無我夢中で父に抱きつき、母も加わってしばらく三人で抱き合った。
「ああ、ハルカ…ラド…すまない…すまない…」
娘と妻を抱き締めた父親は、涙を零して何度も何度も謝罪の言葉を繰り返す。
そんな姿に首を振って、ハルカは父をもう一度強く抱き締めた。
「もう、いいの…パパ…全て終わったの…だからもう、謝らなくていいの…」
「ハルカ…」
「そうよ、あなた…もう、終わった事…本当に、皆無事で良かった…」
「ラド…ッ!」
母も同じように父を抱き締め、その優しい温もりに父はまた涙を溢れさせていた。




「…良かったな」
シロンの安堵を含んだ声が掛けられ、振り向いた。
大きな風のドラゴンが、優しい眼差しでこちらを見下ろしている。
その背には、親子3人の再会に感動したのか、涙でぐしょぐしょなシュウが見えて、ハルカは思わず苦笑した。
「ええ…ありがとう、シロンさん。シュウ君も」
シュウはハルカに何やら言葉を発するも、涙と鼻水で詰まった声は聞き取れなかった。
やれやれと、シロンがそんな涙もろいサーガに首を振ると、一呼吸を置いてハルカを見下ろした。

「…じゃあな、カワイコちゃん」

そう短く別れを告げて、シロンは踵を返した。
雄大なウインドラゴンは、その白い翼を再び羽ばたかせようと大きく広げた。
余りにもあっけない別れ。
憧れのレジェンズ、ウィンドラゴン―シロンとの、最後の別れ。

そう、これで最後なのだ――


「待って、シロンさん…ッ!!」

急速に胸にせり上がった想いに、ハルカは思わず駆け寄って呼び止めていた。

シロンはハルカの呼び止めに、飛び立とうとしたその翼をたたみ、こちらを振り返ってくれる。
だが、次の言葉は続けられなかった。
言いたい事は山のようにある。でも言葉は喉に詰まって出てこない。
それどころか、急に湧き上がる別れの切なさに、嗚咽が漏れそうになった。
堪えようと俯いたハルカに、シロンはそっと顔を寄せる。
「どうした?」
言い方はそっけないが、その声音はとても優しい事に気が付き、目頭が熱くなるのを必死に堪えながら、ハルカはシロンにだけ聞える声で呟いた。
「…レジェンズは戦いが終われば、地球に還る…」
「知ってたのか」
「ええ…」
驚きもなく、そっけなく認めるシロンの姿に涙が零れそうになる。
「そういう事だ。色々と世話になったな」
少しだけ声に寂しさが滲んだような気がして、その瞳を見つめ返した。
「シロンさん」
「ん?」
「…ありがとう」
大きな顔にそっと手を伸ばし、その存在を確かめるように触れる。
彼は拒む事はせず、ハルカにされるがままに触れさせた。

「例え、全て忘れる運命だとしても…私は貴方こと、絶対に忘れない…」
触れるその手が震えている事に、シロンは気付いたようにこちらに視線を向けた。
あの古文書を解読している時に気が付いた。
全てを解読できた訳ではないが、レジェンズウォーが終われば、役目を終えたレジェンズは消えると記されていた。恐らく、彼らの記憶も消えてしまうだろう事も、断片的に読み取った文字から推測できた。
全てが消えてしまう。
彼と出会えた事、彼と会話をした事、彼を想って胸を熱くした事、そして今感じている、別れの悲しみに胸を押しつぶされるようなこの痛みすらも、忘れてしまうなんて―

―なんて残酷な別れなのだろう。

「絶対、絶対に…貴方の事…私、私…ッ」
堪えきれない嗚咽と共に囁く言葉を遮り、シロンはハルカにそっと顔を寄せる。
どこか甘えるような仕草で、ハルカの顔に鼻先を摺り寄せた。
あまりにも優しい仕草に、堪えてきた涙が溢れ、ハルカはその大きなシロンの顔に泣いて縋りついた。
そして小さな小さな声で、シロンだけに捧げる言葉を囁いた。

言葉を聞き遂げたシロンは少しだけ目を細めると、その大きな手で器用に頬を流れる涙を掬ってくれた。
思わず微笑を小さく零すと、彼もまた小さく微笑みを零す。だがそれも一瞬の事。
シロンは顔を上げ、翼を大きく羽ばたかせた。

「じゃあな。………ハルカ」
「さようなら……シロン」

翼が起した風に靡く金髪を押さえ、ハルカはシロンが飛び去る青い空を、その姿が消えても見上げ続けた。
彼が拭ってくれた頬は、再び零れ落ちた涙で濡れてしまった。もうあの大きな手は、拭ってはくれない。でもあの優しさは絶対に忘れはしない。
強い決意を込め、青い空を仰ぐ。
さっきも呟いた言葉を繰り返すように唇だけをわずかに動かした。

「     」



シロンは今一度空高く飛び上がり、仲間の元を目指して翼を動かした。
ようやく涙が収まったらしいシュウが、元の調子を取り戻してうるさく喚き出した。
「でかっちょ、俺のハルカ先生と何話してたんだ、このヤロウ!」
「うるせーな」
「いちゃいちゃすんなよなーもう」
「してねーよ」
「で?何話したんだよー教えろよー天かけるミスターネズミ男さんよー」
余韻も何も無い、いろいろ引っかかるシュウの言葉に、うんざりして息を吐いた。
いつからお前の所有になったんだ、彼女は。胸の内でこっそり毒づく。
「お子様にゃ、刺激が強ぇんだよ」
「し、刺激!?ななななんだよ、ソレ!気になるじゃねーかよ、でかっちょ!!」
今度は、何やら赤い顔で喚くシュウを無視して、シロンは飛び去った後に視線を落す。
もう、遠くにしか見えない、風に靡く長く煌めく金髪。
それを目を細めて見つめ、小さく呟いた。

「…俺もだ、ハルカ」

彼女を中心に大きく旋回し、シロンは仲間の元へと向かっていった。

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