I'll never forget


レジェンズウォー。

それは、文明を滅ぼす戦い。
地球を守るため、地球を滅ぼす邪悪な存在―ジャバウォックとの戦争。

――戦いとは、そういうものだ。

いつか聞いた声が、静かに語る。

――これが、その戦いの結果だ。

実際に起きたその戦いを、目の前に突き付けられた。
野生に戻り、本能のままに戦い、そして倒れ消えていくレジェンズたち。
見知った仲間もまた、戦いに敗れ無残に消えていく。

――誰かが命を落とすのが、ごく当然になる。

戦いが苛烈していくのと同時に、人間の世界もレジェンズウォーの影響で文明が崩れていく。
ジャバウォックによる混沌に満ち溢れ、滅びゆく人の世界。壊れた日常を逃れ、身を寄せ合う人間。
滅びに向かう世界に抗い、黒いレジェンズに追われながら懸命に戦う人間の姿もあった。

――犠牲者のいない戦いなど、ない。

その中に力尽きて、横たわる一つの人影があった。
血の気が失せた、傷だらけの白い顔。硬く閉ざされた瞳。
見るも無残にボロボロな姿で力尽きた、そのヒトは。

いつか2人で訪れた事のある場所で。
自分の知らない間に、彼女は、


――彼女は、死んだ。

シロンはその意味を理解すると同時に、思わずその名を叫んでいた。

「ハルカ…ッ!!」

無意識に伸ばした手は、あの時と同じように空を掻いた。
だが、見開いた視界の先に広がっていたのは、混沌とした世界ではなく、ましてや光のレジェンズたちがいたあの場所でもなく、ブルックリンの青空だった。
さわやかな風が頬を撫で、ようやく自分が夢を見ていたことに気づく。
天気が良いからと、クラブ全員で遊ぶとかサーガが言ってたが、面倒なので秘密基地の屋上でサボって昼寝をしていた事を思い出した。
「んだよ、夢、かよ…」
溜息をつきながら、今見たものを追い払うように頭を振った。
頭痛のような重苦しさを覚えて、額に手を当てる。
「いや……夢じゃなかった、んだよな…」
額から力なく手が落ちた。

あの時はレジェンズウォーの戦場の只中にいたから、実際に滅びゆく人間の文明を目にした訳ではない。
だが、あの戦場の凄惨さは目に焼き付いている。ニオイだって覚えている。
そして光のレジェンズ共に見せつけられたあの惨劇も。
自分だけが覚えているその記憶は、再び地球に蘇った後でも消えてはいなかった。

結果から見ればあの悪夢のような運命からは逸れた。
けれども、あの戦争は実際に起こっていた『事実』なのだ。
あのまま新たな可能性が生まれず、レジェンズウォーが進んでいれば―…
本当に、文明も仲間も…大切な存在も失われただろう。永遠に。
自分の、せいで―

過ぎた事だと理解しながらも、あの時の自分に苛立ちを覚え、思わず舌打ちをする。
ああダメだ。気分を変えなければ。
サーガたちの所にでも行こう、そう考え身体を動かそうとした時、何かが視界の隅に映った。
既視感。
ギクリと身を強張らせ、その何かへゆっくりと視線を向ける。

それは、長くゆったりとした金色だった。
無機質なコンクリートの床に、ふわりと緩くうねり広がる金の髪。
細くしなやかな手足は床に力なく投げ出され、瞳は固く閉じている。
自分に身体を預け、横たわっていたのは――

「…ハルカ?」

その名を呟くのと同時に、先程の悪夢がフラッシュバックする。
あの『事実』と目の前の光景が重なって見え、冷水を浴びせられたように血の気が引いていく。
心臓の鼓動が早くなる。何かに握りつぶされるように痛い。
「……ハルカ」
掠れた声でもう一度名を呼ぶ。だが、彼女は呼びかけに応えない。
「ハルカ」
今度は声を大きくして呼びかけた。
だが、昏々と瞳を閉じたままの彼女の姿に、思わず身体を揺すり名を叫んでいた。

「ハルカ…ッ!!」


「ひ、ひゃいいいいいいいいぃぃぃーーーーッ!?」

途端彼女は、間の抜けた悲鳴をあげながらビクンと文字通りに飛び起きた。
「なななななに…!?な、何が起こったの…!?」
起き抜けで焦点の定まっていない彼女の視線が、確かに自分の姿を捕らえたのを確認した時、思わず身体から力が抜けてしまった。
「ふぇ?あ、あれ??シ、シロンさん…!?ええと、私…確か、ここに遊びに来てーでも誰もいないしシロンさん寝てるしー…それで、わぁー可愛い寝顔するんだなぁーって眺めててぇー…あっ!私まで一緒に寝ちゃってた!?」
唐突に叩き起こされて、寝ぼけた顔で完全にアワアワと混乱している姿は傍から見れば滑稽だったろうが、今の自分には言い表す事が出来ないほど安堵する姿だった。
「え?え?な、なに?!どうしたんです!?」
大きく深いため息をついて、その場にへたり込んだシロンの姿に、ハルカは意味もなく回りをバタバタと動き回ってその焦りを全身で表している。
あまりの混乱ぶりに毒気を抜かれ、思わず小さい笑みが零れた。
周りをオロオロ動き回る彼女を、おもむろにガシッと掴んで引き寄せると、懐へと抱いてゆっくりと覆いかぶさった。
触れ合う場所から感じる彼女の温もり。鼓動。息遣い。意味が分からない叫びと悲鳴。
ああ、彼女は今、生きている。
そんな当たり前の事を今一度確認し、大きくゆっくりと息を吐いて体の力を抜いた。
「きゃ…!ちょ…っ、シロンさ、重…ッ!?」
慌てる声は聞こえない振りをして、押しつぶさない程度に、けれどもハルカは身動きが取れないくらいに、その小さな身体を押し倒し、自分の大きな顔を彼女の小さな顔にすり寄せた。
「シロンさん…?」
無言でハルカを抱いたまま動こうともしないシロンに、ハルカは何かを察知したのか、一転して心配げな声で呼びかけてくる。
身体を離してやろうと思ってはいても動く気になれず、彼女の体温が確かに温かくて、それが無性に離れがたかった。
「シロンさん?」
再度、ハルカが名を呼んでくる。それもまた心地が良い。
そのうちに、戸惑うように顔を触れてくるその小さな手の温もりも、もっと感じていたかった。
「…わりぃ…しばらく、このままでもいいか…?」
掠れた声で告げると、こっちの尋常ではない状態を悟ったのだろう。
「はい」
短く返事だけをすると、彼女は何も聞かずに精一杯腕を伸ばし、こちらの大きな顔を抱きしめてくれた。
しばらくの間お互いに無言で温もりを分け合った。


どのくらいそうしていただろうか。
あんなに荒れていた気持ちはすっかり凪いで、ただ触れ合う彼女の滑らかな肌と体温を感じ入る。
密着している為か、時々触れる彼女の唇らしき感触に気づき、首筋に埋めていた鼻先をそっと肩口にわざとらしく滑らせた。
「うひゃっ!?」
途端に、変な悲鳴を上げて体を強張らせたので、思わずククッと喉の奥で笑いを零した。
それに気づいたのだろう。大人しかった彼女がバタバタ暴れだした。
「人が!心配してるのに!悪戯はやめてください!!」
「悪い悪い。つい、な」
押し倒していた格好のハルカの上から顔を退かす。だが、彼女をまだ腕の中から解放する気にはなれなかった。
「…本当に、どうしたんですか?」
押し倒されたまま、ハルカが労わる様に顔に触れ、心配そうに見上げられる。
そんな彼女の手に顔をすり寄せ、目を閉じた。途端に瞼の裏に蘇るのはあの光景。
知らず身体が緊張したのだろう、心配を深めた声に名を呼びかけられて、ハッと目を開けた。
「…レジェンズウォーを覚えているか…?」
「レジェンズウォー?ええ、黒水晶に侵されたレジェンズたちが暴れだした時の事ね」
「…違う」
それは、正確にはレジェンズウォーが始まる前兆だ。
「え?あれ?そういえば、結局レジェンズウォーは止められたのよね?」
…分りきっている事だ。
ハルカが覚えている訳がない。そもそもレジェンズウォーは回避されたのだから。
だから、この記憶は自分にしかない。
あの凄惨な戦場は、自分だけが覚えている。あの光景を。彼女が死んだ姿を―
「…っ」
「シロンさん?」
縋るように、ハルカの手に顔を擦り寄せる。彼女は、それを優しく撫でてくれた。
「…ねぇ、シロンさん。何があったのか、話してくれませんか?…1人で抱えこまないでください。私で良ければ聞きますから…」
「…」
深く息を吐く。
彼女の小さな手の温もりと優しさを改めて感じ入る。本当に心落ち着く温もりだ。
起き上がって彼女を抱き上げ、膝の上に乗せる。そうして彼女と向かい合い、話しを始めた。
先程見た夢を―いや、実際に起こった事をぽつりぽつりと吐き出すように。

「本当は、戦争は始まっていたんだ。…いや、俺が始めてしまったんだ…」

自分が引き起こしてしまった、レジェンズウォーの事。
そこで、なにが起きていたのか。
レジェンズキングダム…戦場の苛烈な争い、たくさんのレジェンズ達が戦い死んでいく凄惨さ。
そんな中で、シュウがシロンの心を取り戻してくれたおかげで別の道が開けた事。
そうして出会った光のレジェンズの事―のくだりは「なんですそれ!もっと詳しく!どんなレジェンズがいたんですか?姿は?趣味は?好きな食べ物は!?」と興奮しだして危うく脱線しかけたが―
そして、彼らに見せられた仲間の、そしてハルカの無残な最期―

「俺のせいで…みんなを…ハルカを…ッ」
あの時感じた無念さを思い出し、うなだれて床に拳を叩きつけた。
その腕にそっと触れられて顔を上げれば、微笑むハルカの姿があった。
「でも、私は今、シロンさんの目の前にいるわ」
小さな手が、存在を確かめるように大きな手を握ってくれる。その事実にじわりと胸が熱くなる。
けれど、どうしてもあの光景が目の前に焼き付いて離れない。
ハルカを亡くした、その事実が胸を苦しめる。
「俺が、レジェンズウォーを始めなければ、あんな事は…!」
「それはきっかけに過ぎないわ」
「けどよ…」
尚も懺悔を口にしようとしたが、彼女がかぶりを振って押しとどめた。
「それに、私はシロンさんを責められない」
自嘲的な声に視線を向けると、彼女は気まずげに視線を逸らした。
「…私、一度はシロンさんを…レジェンズたちを全部消し去ろうとしてたわ…」
そういえばと、いつかの彼女の姿を思い出す。
黒い際どい衣装を身に纏い、ランシーンと共に現れた時の事を。
彼女は確かにランシーン側につき、自分たちと敵対していた。だがあの時はその理由を考える暇もなく、次々と現れる敵を払うのに必死で、実感は薄い。しかし、彼女は負い目を感じているのだろう。その声には後悔の色が強かった。
「あの時の私は、子供たちを巻き込まないって約束したはずのシロンさんが子供たちの傍にいて、戦っていて、勝手に裏切られた気持ちになって、貴方を恨んだ。そして子供たちが危険な目にあうのは全部レジェンズのせいで、そのレジェンズがいなくなれば子供たちは安全になるんだって思い込んで、躍起になっていたわ」
俯いた顔は髪に隠れ表情は伺えなかったが、握られた手にぎゅっと力が籠る。
彼女の経緯を今初めて知り、結局自分は彼女に何もしてやれなかった事に、今更気付いて心の内で悔いた。
「そんな時にね、音信不通だったパパが帰ってきたの。パパも私と同じことをしようとしてた。レジェンズが怖いモノだって思い知らせて、レジェンズを無理やり掴まえてソウルドールに封じ込めて……それを、見た時に思ったの。『私がしたかった事ってコレだったの?』って」
見上げてくる顔は苦痛を耐えるようだった。
「…私、レジェンズを、シロンさんを殺そうとしていた…」
「ハルカ…」
「私も後悔しているんです。もっと違う方法があったんじゃないか、パパをもっと早くに止める事も出来たんじゃないかって。そうすれば、ジャバウォックだって現れなかったんじゃないかって。…だから、私、貴方を責められないし、責める資格もないんです」
「……」
俯いたハルカに何も言葉が出てこず、ただその小さい手をそっと握り返す事しか出来なかったが、それでも彼女は小さく微笑んでくれた。
「それに…元々は、文明を黄昏時に追い込んだ人間のせいです。シロンさんだけが悪い訳じゃない」
ハルカはこちらを見上げ、握った手を優しく撫でた。
「後悔はいっぱいある。でも、結果的にレジェンズウォーは止められ、文明は滅びなかったでしょう?」
大きな手に今度は彼女の方から頬を摺り寄せた。その温もりを確かめさせるように。
「私は生きてる。シロンさんもいる。しかもこうして一緒に居られる。それだけで私には充分すぎるくらいです」
「…そう、だな」
ハルカの柔らかな笑顔に思わず引き寄せられて、そっと顔を寄せる。
近づいた顔に、一瞬驚いたように目を見開いたハルカは、慌ててぎゅっと目をつぶった。
ほんのり染まった頬に小さく笑い、そのまま小さな唇にそっと自分の口元と触れ合わせ、改めて生きている温もりを確かめ合った。
しばらくして目を開けると、初めての時のように真っ赤に顔を染める彼女がいて、思わず笑いが込み上げた。と、同時にチリと胸奥に何かが燻る。ああ、もっと。
「…なぁ」
「なんですか?シロンさん」
「もっと、ハルカを確かめたい」
「………ッ!?」
意味を悟った彼女の顔がさらにぼっと燃え上がる。
「んなななななな…ッ?!」
奇声を上げて逃げようとする前に、身体を掴んで引き寄せた。
「少し、黙ってろ」
「…んぅっ!?」
強引に押し倒して、奇声を上げるその唇を封じ込めて、舌先で蹂躙して。
上気した頬と乱れる息遣いに、胸奥に燻った何かに火が付きそうになった、その瞬間。

「おーーーい!でかっちょーー!起きてるかーーーー!」

空気を読まない声に割り込まれ、燻りが一気に鎮火されてしまった。
ビシリと思わず固まった腕の中から、慌てて這い出して身なりを整えるハルカの姿を口惜しく見て、風のサーガの呼び声に怒鳴り返してやった。
「うっせーな!起きてるよ!なんだよ!!」
答えたのと同時にシュウがのんきに屋上へと姿を現した。
「おーす!でかっちょー!今からキザ男んちにみんなで集まってスシパーティーやるから、行くぞ!って、あれー?ハルカ先生じゃん」
「お、お邪魔してるわ、シュウくん。…ナイスタイミング」
「へ?」
ハルカの言葉に首を傾げたシュウだったが、深く詮索される前にハルカが話題を逸らしていた。
「え、えっと…スシパーティするの?いいわね、楽しそうね!」
「そうなんだよー前みたいに俺んちでやろうって言ってたんだけど、どうせなら今度はレジェンズたちも一緒に!ってなってさーそれじゃウチじゃ狭いだろ?キザ男んちでパーッとやろうぜって話になったんだ」
「まぁ!レジェンズも!?ホントに賑やかで楽しそうね!」
『レジェンズ』の単語にハルカの興味が完全にそっちに移る。さっきまでの余韻は完全に消えているのが、少しだけ面白くない。
「そうだ!ハルカ先生も一緒に行こうぜ!」
「え!いいの?」
「もちろん!この僕がキザ男んちまでエスコートしますよ…!」
キリッと無駄にカッコつけて差し出すシュウのその手を、ハルカも笑い返して握ろうとした、その寸前。
ハルカの身体を、ひょいっとすくい上げた。
「ひゃっ!?シロンさん!?」
「…キザ男んちだな。んじゃ、先行ってるぜ」
ハルカを抱えたまま、ばさりと翼を動かし飛び上がった。
「おー!じゃ、後でキザ男んちでなーって!!いや!!俺も!!一緒に連れてけよ!!」
なにやらぎゃーぎゃーと騒ぐサーガを置いてゆっくり旋回すると、ディーノ宅へ進路を向ける。
腕の中でハルカがやれやれとこれ見よがしに溜息をついた。
「…大人げないわ、シロンさん」
「うるせ」
良い所を邪魔された挙句に口説かれたのだ、いくらサーガと言えど面白くない。
「…覚えてろよ」
ぼそりとついた悪態に、ハルカはくすくすと楽しげに笑った。
そしてひとしきり笑ったあと、そっと腕に身体を預けて柔らかい声で呟いた。
「ちゃんと覚えておくわ…貴方が見た可能性の結末とその喪失感も、私もちゃんと覚えておくわ…」
だから、と囁くように続く言葉に、胸に温もりが満ちる。
「一人で苦しまないでくださいね」
「…ああ」
腕の中の彼女の存在を、そっと抱え直して空を駆った。

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