カフェ「ワニの穴」


ここは、レジェンズたちの憩いの場。
開いたばかりだが、男の隠れ家的な落ち着いた雰囲気のカフェとしてレジェンズたちの評判は中々に良い。
特に、自分の兄貴的存在である、ウインドラゴンのシロンさんは気に入ってもらえたようで、頻繁に通ってくれる。
いつ来てくれてもいいように、シロンさん専用のグラスを丁寧に磨いていると、来客を告げるドアのベルが店内に響いた。
店内を片付けていたサラマンダーの客を迎える挨拶が、驚いたものに変わったのに気付き、グラスを磨いていた手を止めて、店の入り口に顔を向けた。
「よぉ、ダンディ。邪魔するぜ」
慣れた調子で声を掛けてきたのは、白いウインドラゴン。今磨いていたグラスの持ち主であり、大事なお客であるシロンさん本人だった。
いつも通りの来訪で、別段驚く事は特に見当たらないのに、サラマンダーの驚いた表情を怪訝に思ったが、それよりもシロンさんを迎えることを優先させた。
「いらっしゃい、シロンさん」
その声に、シロンさんは手を上げて挨拶を返して店内に入ってくる。―と、彼以外の存在に気が付いた。今夜はグリードーさんも一緒なのかと一瞬思ったが、彼 の大きな身体の後ろからひょこりと現れたのは、金髪の人間の女性の姿。サラマンダーが驚いていた理由ははこれだったようだ。
聞くよりも先に、シロンさんが彼女を示して口を開く。
「今日は連れがいるんだ。いいか?」
「こんばんは。ハルカ・ヘップバーンです。お邪魔しても大丈夫ですか?」
落ち着いた声音で自己紹介をする彼女は、ゆったりとした金髪を背中に流し、薄紫の上品ながらも胸元が大きく開いたワンピースを身につけていた。見事なプロポーション。かなりの美人だ。サラマンダーが目をハートにして見惚れている。
ウチの店はレジェンズの為の憩いの場だが、人間禁制という訳ではない。―まぁ、事情の知らない人間が来れば、適当に理由をつけて断ってしまうが、シロンさ んの連れとあっては断るわけにはいかない。それにあのシロンさんが連れてくるのだから、レジェンズの存在を理解してくれている人間なのだろう。それであれ ば、問題は無い。
「ええ、どうぞ」
微笑んで促がすと、彼女は嬉しそうに笑みを返して店内へと踏み入れた。

「きゃあぁ~っっ!素敵なお店ーっ!!」
入るなり、店内を見回して歓喜する彼女の顔は、まるで子供のように目が輝いていた。
席に案内しようとしたサラマンダーそっちのけで、店のあちこちへ動いて見ては感動の声を上げる。
優雅そうな第一印象は早くも崩れ去り、それはもう楽しげに、大騒ぎではしゃいでいた。
シロンさんが視界の隅で、苦い顔して頭を振っているのが見えた。
「素敵ステキ!レジェンズが経営するお店なんて、聞いたことないわ!しかもそのお店に来れたなんて、最高!!」
「わかったから、こっち来て座ってくれねぇか?カワイコちゃん」
暴走する彼女をシロンさんがなんとか諌めると、まだまだ興奮が冷めない様子ではあったが、ようやく腰を落ち着けた。
それを見計らって、作りなれたスィートダンディを2人の前へと差し出すと、シロンさんは慣れた手つきで小さなグラスへ手を伸ばす。彼女もそれに習うと思い きや、何処からともなくメモを取り出すと、キラキラする瞳をこちらへ向けてきた。見つめられて思わず後ずさると、身を乗り出すようにして聞いてきた。
「あのぉ、質問しても良いですか?」
「え?あ、ああ…どうぞ」
なんとなく断れなくて頷くと、それはもう嬉しそうな笑顔が向けられた。
そして、マシンガンのような質問が開始された。

「お店はいつから開いてるんですか?」
「ええと、まだ開いたばかりだねぇ」
「おススメのカクテルとかありますか?」
「ウチはカフェだからねぇ、カクテルじゃなくてジュースなんだけど、このスィートダンディは人気だね」
「あ、これですね!確かに凄く美味しいです!」
「そいつは良かった」
「どんなお客さんが来るんですかぁ?」
「ウチはレジェンズがお得意さまでね。シロンさんはよく来てくれるよ。あとはGWニコルの3人も。最近はファイアージャイアントがサーガを連れて来てくれたねぇ」
「ええー!?じゃ、じゃあじゃあ、このお店にはレジェンズがいっぱい来るんですか!?」
「そりゃあね。レジェンズの為に開いたようなもんで」
「きゃー!ステキ!最高!あ、私ここの常連になってもいいですかぁ!?」
「ああ、もちろん。ただし、興奮しすぎて他のレジェンズのお客さんの迷惑にならないようにね」
「もちろんです!ご迷惑はかけませんから!」
「頼むよ」
「マスター以外にも、従業員の方はいらっしゃるんですか?」
「ああ、いるよ。おーい、サラちゃん」
「はい、なんでしょう?」
「きゃー!サラマンダーが働いてるの!?すっごーい!」
「いや、さっきから居たんだけどなぁ…」

―そんな感じに彼女の質問は、留まる事を知らなかった。
さすがに少々疲れて、こっそり溜息を落す。と、視線をシロンさんへと何気なく向けると、無言でグラスを傾ける姿がそこにあった。
その表情は、明らかに機嫌が悪そうだ。
店に来た時はそうでもなかったのに、何故だろうか。自分が粗相でもしてしまったのだろうか。でも、さっきからハルカというシロンさんの連れに付き合わされて、それどころではなかった――

そこまで考えて、はっと気が付いた。
『何もしてない事』が、彼の機嫌の悪さの原因だという事に。
ハルカといった人間の女性の格好から察するに、これはデートなのだろう。
それなのに、彼女は先程からシロンさん以外のレジェンズに夢中なのだ。恋人が自分以外と楽しくやっていたら、シロンさんでなくても機嫌を悪くするに違いない。
だがそんな事に気付かずに、彼女はサラマンダーと楽しげにしゃべっているのだった。
それを見て、一気にグラスを煽るシロンさんに、慌てて新しい飲み物を差し出した。
「シロンさん、これ新作なんですよ。良かったら味を見てもらえませんかね?」
少しでも気を紛らわせて貰おうと声を掛けると、ちらりと視線がこちらへ向く。
「ふーん」
言葉少なに新作を手に取り、グラスを煽る。
「…ど、どうですか?」
「悪くねぇな」
「良かった~!これ、ウチの新メニューとして売り出そうと思ってましてね―」
他愛の無い会話で彼の気を紛らわそうとするが、シロンさんの視線は変わらず彼女へと向けられている。
サラマンダーも美人にすっかりのぼせたのか、彼女の質問に嬉々として付き合っていた。
彼女もまた楽しそうに笑うので、それを目にしたシロンさんの表情がさらに険しくなる。
グラスがまた空になり、すかさず新しいスィートダンディを差し出しながら、いまだ彼女と話し込んでいるサラマンダーの尻尾を、思いっきり踏みつけてやった。
はずみで近くの椅子を黒焦げにしてしまったが、そこは大事の前の小事。
「い、いきなり何するんスか、マスター!?」
悲鳴を上げて、涙目でこちらを睨むサラマンダーに、視線だけでシロンさんの方を示す。
彼の冷たい視線にようやく気が付いたのだろう。小さく悲鳴を上げると、逃げるようにハルカの座るカウンターから離れていった。
「あー!まだ質問し足りないのに~!」
鈍感な彼女を窘めるように、小声で囁いた。
「今夜はデートだったんじゃないんですか?」
「え?あ、はい…」
『デート』と言う単語にちょっと頬を染める。初心なその反応が可愛らしい。先程の勢いが消えた、しおらしい姿に、サラマンダーが鼻の下を伸ばすのも判る気がする。
「あのシロンさん、なんとかしてくれませんかねぇ」
こっそりとそう囁いて、不機嫌を露にしたシロンさんの顔を示すと、彼女はきょとんとそれを見つめた後、くすくすと笑いを零した。
「その前に、何かカクテルありますか?」
「アルコールですかい?カシスくらいしかないが…」
「ああ、それでいいです」
注文どおりにカシスソーダを差し出すと、彼女はそれを美味しそうに飲む。
そしてグラスを持ったまま、シロンさんへと擦り寄って行く。
「ここ、ステキなお店ね」
「…」
「私、とても気に入ったわ」
「…良かったな」
案の定、不機嫌なシロンさんの返答はそっけない。だがそれに怖気づく事無く、彼女はカクテルを時折口にしながら、会話を続ける。
「だって、伝説の存在と言われていたレジェンズがやってるお店なのよ!ホントに素晴らしいわ!私、毎日でも通いたいくらいよ」
「…そうか」
「ええ!だって、ダンディさんは渋くてカッコ良いし、サラマンダーさんは愛想が良くて可愛いもの。あ、ダンディさん、もう一杯」
「え、ああ、はい…」
「……」
彼女の口から出た誉め言葉に、シロンさんの眉間に少しだけ皺がよった。
わざわざ怒らせるような事を言わなくても…。冷たい視線が痛い。
だが、彼女はそんなシロンさんの姿を知ってか知らずが、なおもカクテル片手にレジェンズ談義を続けていて、彼の機嫌は悪くなる一方だった。
ある程度語って満足したのだろう。ハルカはくすくす笑いながらカクテルを飲み、ようやくシロンさんの事へ話題を変えた。
「シロンさん、どうしたの?」
「…何が」
ハルカが顔を覗きこむと、シロンさんはその視線を遮るようにグラスを煽る。
「だって、機嫌が悪いみたい」
「んな事、ねーよ」
答える声は、指摘どおりに不機嫌が露だった。分かりやすい姿に、彼女は小さく笑う。
「そうかしら?…もしかして、拗ねてる?」
「はぁ?」
不本意な単語に、シロンさんが思わず声を上げる。睨む彼を一切気にする事もなく、ハルカは笑いを収めなかった。
「拗ねるシロンさん、可愛い~」
カクテルを飲みながら、彼の大きな身体に彼女が甘えるように寄りかかった。
「拗ねてなんかねーよ!」
多少慌てたように声を荒げるシロンさんに、彼女の笑いはますます深くなる。
「ムキになっちゃうところも可愛い♪」
「だから、ムキになってねぇよ。つぅか、酔っ払ってんのか?」
変に絡んでくるハルカの姿に、呆れたように顔を寄せる。そして顔を顰める様子からして、彼女から漂う酒の匂いは強いのだろう。
彼女に注文されるがままに、カクテルを差し出していたが…そう言えば、何杯目だっただろうか。
「酔ってませんよー?あ、もう一杯お願いします~」
そう言ってグラスを掲げておかわりを催促する彼女に、さすがに出すのを躊躇った。
目元がトロンとして、動作もどことなくフラフラしている。意識はまだしっかりありそうだが、それも時間の問題に思えた。
「…飲みすぎじゃねぇか?」
シロンさんの疑問に、こっそり同意する。
「このくらい、平気よ。シロンさんも飲みます?」
「いや、俺はいい」
そう言って拒否して、スィートダンディを一口。
それを不満そうな顔で見ていた彼女は、空のグラスを弄びながら不平を口にする。
「つまんない。…シロンさん、もしかして、お酒飲めないの?」
「飲んだ事がねぇな」
彼女の質問に、そう答える。ちょっと意外な答えだったが、考えてみればこの店以外で飲める場所はないだろうし、シロンさんにアルコールを出したことはない。
「じゃあ、飲んでみる?」
彼女がグラスを揺らして見せるが、シロンさんは首を振る。
「いや、遠慮する。その様子じゃ、ロクなもんじゃなさそうだしな」
「それ、どういう意味かしら?…つまんない。美味しいのに」
そう言って彼女は頬を膨らませ、それを溜息混じりに眺めていたシロンさんと不意に目が合った。
無言ではあったが、何かを訴えかける瞳に気付く。
それが何かに気付くと同時に、ハルカがカラカラと空のグラスを揺らして声を掛けてきた。
「ダンディさ~ん、おかわりまだ~?」
催促して来る彼女に気付かれないように、シロンさんにウインクして返事をすると、彼女の手から空のグラスを抜き取った。
「お嬢さん、さっきので最後」
そう言ってやれば、案の定不平の声が上がる。そんな声にそ知らぬ顔して、空のグラスを洗いに掛かった。
「ウチは元々アルコールはあまり置いてなくて。悪いね。さーさー、そろそろ今日は看板にしたいんだけど」
実の所、酒のストックはまだあるし、閉店まではまだ時間がある。
けれども、彼女の酔っ払い具合と、先程のシロンさんの合図で敢えて嘘を口にした。
そんな自分の気遣いに、シロンさんはお礼代わりに、小さく手を上げてきた。
「残念だったな、カワイコちゃん。そろそろ帰る時間だぜ?」
子供をあやすみたいな口調で言われて、彼女はますます不平を露にする。
「いやだ。かえりたくない」
「おいおい…」
それこそ子供みたいな事を言い始めて、シロンさんは呆れた顔になった。
説得しようと駄々を捏ねる彼女へ手を伸ばすのを横目にしながら、これは困った事になったな…と思っていると、彼女は伸ばされた大きな手に、しなだれかかった。
「まだ帰りたくない。シロンさんともっと一緒に居たいの」
上目遣いに甘える声でそう呟く姿に、自分に向けられた訳でもないのに、こっちまで心臓が撥ねたような気がした。
動揺を押し隠してシロンさんを伺い見れば、声を無くして硬直している。
…シロンさんでなくても、落ちるな、これは。
どうするのかと、無関心を装って観察していると、しばらくして我を取り戻したシロンさんは、手に縋る彼女をそのまま抱き上げ、席を立つ。
「…それじゃあ、邪魔したな、ダンディ」
こちらに掛けてくるシロンさんの声は、どこか上の空だ。
「…大丈夫ですかい、シロンの兄貴…?」
色んな意味で、思わずそう尋ねてしまうが、彼は気にした様子も無く出口へと歩いていく。
そしてふと足を止めると、振り返って聞いてきた。
「…なぁ、ここらで泊まれる場所ってあるか?」
至極真剣に尋ねて来たシロンさんに、思わず呆れた顔で首を振る。
「……送り狼はいけねぇな、兄貴」
その答えに心なしか肩を落とし、彼女を抱えて店を出て行くシロンさんを見送ったのだった。



翌日。
ばったりとシュウゾウ・マツタニに出会った。
シロンさんは一緒ではない。

「おー!ダンディじゃねーか!」
「…よぉ、ボウズ。昨日ウチの店にシロンさんが来てくれたんだがよ。…シロンさん何時に帰ってきたか分かるか?」
「へ?なんでそんな事聞くんだ?えーっと、確か日が変わる前には戻ってきたけど?」
「ふーん…狼にならなかったんだねぇ…」
「…?あいつドラゴンだろ?」

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